癒やしのフリーランド

ひとこま写真と日常の随感

クリスマス

 
  クリスマス イメージ 1イメージ 3
 

 大人になってからのクリスマスの楽しみというものは何も覚えていない。例えば人とはしゃいだり、飲んだり食べたり、遊んだりしたらしい記憶もない。楽しみはすべて子供時代に集約されている。といっても、別に変わったことではない。どこの家庭でもふつうに行われていることだ。

 クリスマスの少し前から小さなもみの木を買ってきて、夜になると飾り付けを始める。押し入れから去年しまい込んだ飾り物セットを取り出し、てっぺんに星形を付け、金銀緑赤の玉を結び、モールをかけて終わりだ。あとは枝の所々に布団の綿を雪代わりにかけておけばいい。イブになると、会社帰りに父がクリスマスケーキを買ってきてくれる。そこそこの小型のケーキだが、みんなで切って分けると、これがおいしかった。淡いピンク色がかったクリームも、苺もスポンジも…全部。とくに甘いところを食べ終わったあとのスポンジが好きだった。
 
 そのあと何だかわくわくしながら床に就くが、朝早くに目が覚めると、もう枕元にプレゼントが置いてある。幼児の頃でもなければサンタクロースが来たなどとは思わなかったが、本などにサンタクロースがよく出てくるので、そういうことにしておいた。置かれていたのは、たいていは少年雑誌か菓子のようなものである、そうはいってもクリスマスプレゼントは、骨折って日々の暮らしをやりくりしている両親からみれば、余分な臨時出費であったには違いない。

 中学生にもなると、さすがにクリスマスにプレゼントなどしてもらうことはなかったが、ある程度大きくなってからも、こちらから親にプレゼントをした憶えなは一度もない。子供というものは、自分の夢を追うばかりで、自分中心にしか事を考えていないのである。もちろん、子供はそれでもいいのだが、親の苦労にする思慮が足りないことだけはたしかだ。

 その点、今の子はやさしい。親の誕生日や母の日には何かちょっとしたものをプレゼントしたりする。そのほとんどが女の子だ。ただ、それは今の子が多少なりとも自分の小遣いを所持していることにもよる。自分の子どもの頃は10円の手持ちもなかったので、親に対してプレゼントなど考えられもしなかったのである。また買うような店も近くにはない。年間を通して唯一の収入源は、親戚の伯父・叔母から貰ったお年玉だけなのだ。当時なので、百円・二百円のお年玉が、全部で千円ぐらいにはなったが、それも学費に消え去ることがあった。子供にできるとしたら、家の手伝いぐらいなものだった。それすら、あまりしなかったが。

 それでも家計の厳い日々の中でも両親は、こどもの日や、七夕や、海水浴や、季節毎の行事だけは欠かさずにしてくれた。クリスマスもその一つであり、現在に比べると何もかも乏しい時代ではあったが、かえって子供時代のひとときを彩る楽しい思い出として、両親への感謝の念とともに心に残っている。
 
             イメージ 2