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現代社会と十善戒


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 現在の若い人たちは幼少期からしっかりとした見識を持っていて、テレビ局などのインタビューに対しても堂々と発言できている人が多い。素晴らしいことだ。自分たちの若い頃なら気後れし、どぎまぎするばかりで、そんな芸当はとても出来なかった。
 しかし、そんな彼らでも一旦、学校を卒業して社会の荒波に揉まれると、その頃の純真な気持ちを忘れてしまうこともあるのだろうか。昨今は、一昔前では考えられないような事件や犯罪が多発している。その結果、周囲に多大な苦痛と迷惑と損害を与え、自分自身も被害者になったり、加害者になったりして、身を滅ぼす結果に陥いっていくこともある。

 もちろん、それは年齢や職業、社会的な名声や地位には関わりないが、何故このような悲劇が起きるのだろうか。現代社会における欲望の拡大、孤立化、ネットワークの発達による通信・情報の影響力なども指摘されてはいるが、それよりも、彼らが真実の言葉に出会っていないのが原因だと思う。たしかに学習や実社会における将来の夢も必要で、彼らもそれらに対する志はしっかり持っていると思うが、それらの基礎ともなる、自分の内面を支える生きるための哲学が欠如しているのだろう。
 だから自分の夢の前に大きな壁が立ちはだかって頓挫し、将来に失望すると、いらだつばかりで、容易に立ち直ることが出来ない。その結果が、自暴自棄になったり、「何でもあり」の世の中のように錯覚してしまって、つい安易で間違った道に走ってしまうのかもしれない。

 仏教に十善戒という教えがある。真言密教などでは大切にされていて、勤行集にも納められている。

 不殺生(ふせっしょう)  生きものを殺さない
 不偸盗(ふちゅうとう)  他人のものを盗まない 
 不邪婬(ふじゃいん)  よこしまな行いをしない          
 不妄語(ふもうご) でまかせを言わない 
 不綺語(ふきご) うわべだけの言葉は使わない     
 不悪口(ふあくく) 暴言やわるくちを言わない                                    
 不両舌(ふりょうぜつ) 二枚舌を使って仲違いさせない                
 不慳貪(ふけんどん) 物惜しみをして欲張らない
 不瞋恚(ふしんい) 怒ったりうらんだりしない
 不邪見(ふじゃけん) 道理を無視した考え方をしない

 これらの言葉の前には、すべて「不」が付いている。そのため十悪が否定されて「十善」になるようである。

 十善戒は身・口・意の三区分に別れていて、モーセ十戒とも共通する内容が半分ぐらいある。 「仏のように正しく生きようとする者は、これらの悪業を行わない」という出家の戒めと決意の表明だが、やさしくいえば「どなたも仏さまの教えを守って正しく生きましょうね」という在家に対する親切な勧めの言葉でもある。
 「不」が付いているため一見、禁則ばかりのようにも思えるが、十悪の否定であるから、実際は善の勧めである。したがって、十善戒を守るかどうかは強制ではないが、十善戒に反する行為は、仏教ではすべて自分の身に跳ね返ってくるとされている。

 現代社会に生きなければならないわれわれにとっては、もちろん生活上の専門的な学習や将来の夢は必要であり大事なことだが、教育や宗教とは関わりなく、若い頃から、このような人生上の言葉に出会うことも、それ以上に大切な財産ではないだろうか。
 たとえ、そのときは十分理解できず、身につかなくても、真実の言葉はいつまでも人の心に残るものなのである。

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