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木村長門守重成~2


   木村長門守重成~2


   
生きていく上で学問よりも武芸よりもだいじなものは、堪忍だぞ


 このように周囲からかわいがられ慕われる重成だったが、やはり世間には、それを妬(ねた)んで嫌がらせをする者もいたようである。
 その男は知徳院源十郎という坊主で、自分自身の嫉妬心からか、あるいは重成を妬んだ誰かから頼まれたものかもしれない、重成に何かと言いがかりをつけ、打擲(ちょうちゃく)したり侮辱を働くことがあった。それでも、重成は謝るだけで相手にしなかった。
 
 そのため「意気地がない武士よ」と、重成の評判が下がった。それが理由で真野頼包は娘を娶せることを躊躇していた。その件である人から問い糾された重成は「頭の上のハエはどんな高貴な身分の者にも寄りつくものだ。そのようなことでいちいち事を起こしていては、豊臣家の一大事に御奉公が出来ないではないか」と答えたという。
 それは重成が「生きていく上で学問よりも武芸よりもだいじなものは、堪忍だぞ」と、親代わりの佐々木義郷から常に教えられて育ったからだった。
 それがみんなの耳に入ったので、重成の評判は以前よりもむしろ上がることになり、反対に、知徳院源十郎は「ハエ坊主、ハエ坊主」とからかわれるようになったのである。

 そのことに怨みをもった知徳院は、重成の入浴中に出くわしたとき、これ幸いとばかり後ろからこぶしで殴りかかった。ところが重成だと思ったその人物は、実は重成ではなく、豪傑の岩見重太郎だったから、さあ大変! 逆に殴り殺されるところを「どうか、許してやって下さい」との重成の仲裁により、なんとか命拾ができたのだった。
 それ以後、重成に感服した知徳院源十郎は、その家来となって、合戦のときはいつでも重成の騎馬のかたわらに従ったのである。


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公園で            (つづく)