三日月のドラマ
三日月のドラマ
昨夜、テレビで『みかづき』というドラマの予告をやっていた。それで、ふっと前日の夕方に三日月がかかっていたのを思い出した。
夕方とはいえ、まだ空は明るく、茜色の雲が上空に伸びて、灰色の雲や白く輝く雲も、青空の中に混在して光っている。
そんな時刻の、向かいの屋根の上に、三日月がくつきりと浮かんでいたのだ。
そんな時刻の、向かいの屋根の上に、三日月がくつきりと浮かんでいたのだ。
いかにもすっきりしたきれいな月で、あいにくと眼のわるい高齢者には、三日月が二つに見えたのだったが。それでも、明日もきっと晴れるだろうと、月も見られるかもしれないと。うかつにも信じきってしまっていた。
ところがなんと朝、勢いよく窓を開けてみると、周囲はうって変わった暗い雨で、前日、三日月が浮かんでいたあたりのアンテナには、野鳩が一羽、寒そうに風切羽をふるわせて、身震いしながら止まっているばかりである。
そのとき愚かにも初めて思い至ったのである。やはり、すべては幻想だったと。
今時の世相さながら、最近の天候が われわれにとって理解不能な対象であること を、月と空の素晴らしいドラマに魅惑されて、自分はすっかり忘却していたのだった。
もちろん三日月といえども、幻影のひとときは美しく、たのしいものであるから、後悔などはしていない。人生はそのように作られているものだろう。それでも、人間とは、なんと幻想や期待を抱きやすく、過去の反省を忘れやすい生きものである
もちろん三日月といえども、幻影のひとときは美しく、たのしいものであるから、後悔などはしていない。人生はそのように作られているものだろう。それでも、人間とは、なんと幻想や期待を抱きやすく、過去の反省を忘れやすい生きものである